大切なのは、『自分ができないことは何か』をしっかり認識すること
公開日:2020年10月17日
日本を代表する各業界の企業のトップを講師に招き、日常ではなかなか知ることのできないビジネスの本質を学ぶ『企業論特別講義』。本学では1990年から実施しており、今年で30年目になります。
10月14日(水)に第2回目の『企業論特別講義』を実施。この日は、国内外に約1700の店舗を展開する丸亀製麺を擁する、株式会社トリドールホールディングスの代表取締役社長兼CEOの粟田貴也氏を講師にお迎えしました。
粟田氏は、『トリドールホールディングスの成長の軌跡』をテーマに、外食産業に携わった背景から事業の変遷、理念や戦略、今後のビジョンついてお話しされました。
飲食店のアルバイトで仕事の楽しさを知り、芽生えた夢
高校時代からいろいろなアルバイトをしていた粟田氏。仕事とは『辛い・苦しい・我慢するもの』と感じていたといいます。しかし、飲食店(喫茶店)で働きはじめて、その思いは一変。自分が一生懸命やることで結果を変えることができる。そこに魅了され、仕事に楽しさを感じるとともに、飲食でやっていこう、と思うように。そして、その思いは『成功哲学(ナポレオン・ヒル 著)』という本との出合いによって、『自分の店を持ちたい』という夢に変わっていきました。
その資金を貯めるため、運送会社のセールスドライバーとして働きはじめた粟田氏。1日のほとんどを仕事に費やす日々のなか、心の癒しとなったのが『屋台』。「それまで、睡眠が一番大事だと思っていたけど、人との出会いが自分を勇気づけてくれることを実感。居酒屋もいいかもしれない」と思うように。そして、今から35年前、加古川に8坪の小さな焼き鳥屋『トリドール3番館』を開店しました。
考え、問い続けた『自分が既存店に勝てるもの』
念願のお店を開いてからは、「自分が既存のお店に勝てるものは何なのか?」を考え続けたと言います。さまざまな戦略を考え、実践しながら、何度もの危機を乗り越え、お店を繁盛へと導いていきました。とはいえ、資金的な厳しさは変わらず、銀行に行くも「零細企業なので貸してくれない」という現実に直面。そんなとき、「株式を上場すれば資金を得られる」と聞いた粟田氏は、何もわからないながら、いろいろな人の協力を得て、上場への道を歩いていくことに。その当時の思いについて、「ITバブル真っただ中の時期。若い起業家が、上場することで富豪に変わっていく姿を見て、上場すれば自分でもそこに行けるのかなという淡い夢を抱いた」と話しました。
香川県で見た驚愕の光景から学んだ、大繁盛の極意
時を同じくして、香川県のとある製麺所の前で驚愕の光景を目撃した粟田氏。その瞬間思ったそうです。「自分は繁盛の極意というものを勘違いしていたんじゃないか?」と。感動こそが大繁盛を生む。そう痛感し、加古川に丸亀製麺1号店を開店。ただ、当時は焼鳥屋の上場計画を進めていた時期で、丸亀製麺を展開するまでには至りませんでした。
ところが、2003年、鳥インフルエンザの流行により焼鳥屋の売上が激減し、上場計画が白紙に。そこで、事業の軸足を丸亀製麺の展開へ移すことを決断。「あのとき、鳥インフルエンザがなかったら、丸亀製麺を展開することも、今のように世界に羽ばたくことも、なかったかもしれない」と、粟田氏は話しました。
その後、3日に1店舗ペースの高速出店により、日本最速で500店舗を達成。そして、2006年に東証マザーズ、2008年に東証一部への上場を果たします。『強みである“手づくり”・“できたて” を実演しながらお客さまに楽しんでいただく』を徹底してやり続けた結果、売り上げも10年間で約6倍、利益も約7倍に拡大。外食産業衰退期に急成長を遂げた丸亀製麺。厳しい時代の只中で市場を獲得できた要因を、粟田氏は「うどん・そばは日本古来からあるもので、潜在的に非常に大きなマーケットがありました。約1兆円といわれるマーケットのなかで、上位チェーン店の占有率はわずか7%と、ほとんどが手つかずの状態だった」と分析しました。
自分が非力な存在である、とわかること
「世界に通用する企業・海外の市場で戦える体力のある企業になりたい。そのためにも、経営者をたくさん生み出したい」と、将来のビジョンを語った粟田氏は続けてこう言われました。「実現するかどうかはこれからのことであって、夢を持つことが大切」と。経営も何もわからないところからスタートした粟田氏には、それぞれのシーンでサポートしてくれる人がいて、「そういう人たちが事業を大きくしてくれた」と。
最後に、そんな自身の経験を通して、学生たちに次のようなメッセージを送りました。
「夢を持ち、夢を語れば、人が、友が集まってきてくれる。その人が自分のわからないことを知っていて、手伝ってくれる。自分ができないことは何なのか、を自分でしっかり認識すること。それは決して恥ずかしいことでもダメなことでもありません。私自身、今でも自分ができないことを恥ずかしいことだとは思っていません。私にとって一番大切なのは、できないことを正直に話して手伝ってもらうこと。非力な自分を、非力であるとわかること。それが、一番の強みじゃないかと思います。そして、自分ができないことを埋めてくれる人を見つけていけばいいのです」